ギルフィー買取明日へのステップ
京都でのイベントのときに、存在は絶大でした。
権力があるだけでなく、彼の論旨は完壁に武装されていて、とても歯が立ちません。
ましてや「私個人の決断ではないのです。
経営陣の命令なのです」という反論はあまりに負け犬的でした。
そのとき、私は情けなさと悲しさと悔しさに震えながら、「必ずやTに私を認めてもらう」と決心しました。
これが嵐の中での船出のような、私と彼のスタートでした。
ただ私は、自分と異質のものを持つ人間と出会ったときに、それが快感であれ、不快であれ、一本筋を通しているなと思うと、その人をとても好きになります。
そういう意味でトスカーニは、私にとって見たこともない魅力的なバサラでした。
「明日の朝7時に部屋をノックするからね」と言っておいたら、翌朝7時ちょうどに開けたドアの前で「さあどうだい」という感じで立っていたこともありました。
そんなある日、彼と私がインタビューの合間に何気なく交わした言葉で心に残るものがありました。
来日中びっしりと入ったインタビューのスケジュールを、予定の時間どおりにこなそうと私が懸命にアレンジしていると、彼が「日本の新幹線が一秒たりとも狂わずに出発するのと同じだね」と私をからかってきました。
私は「私は、あなたのようなアーティストではない。
芸術もあなたのように理解できない。
でもあなたを誰よりもきちんと居心地よくインタビューさせるためのアレンジ術を持っているのよ・これが私の仕事なの」と答えました。
すると彼は、急にまじめな顔になって「ワタナベ、お前は偉大なるアーティストだ」と返してきたのです。
どういう意味だったのでしょう。
でも、それを言った彼のまなざしは、連日の仕事の疲れを払拭してくれるような温かいものでした。
彼は私を軍隊の将軍に例えたこともあります。
オイッチニ、オイッチニ、と仕事をパンクチュアルに進めるからでしょう。
この頃には『カラーズ』焼き払い事件のわだかまりは収まり、Tは心から私を信頼してくれていたと思います。
彼と仕事をした時間は、間違いなく私の人生の財産となっています。
彼がBグループを去ったことはもちろん淋しいことですが、いつだって私たちは前を向いていかなくてはいけません。
彼と仕事をした年月に恥じないよう、今後も私はしっかりとこの世界で生き抜いていかなければならないのです。
また、今でもこんな人見たことないと思うのは、ニューョークの著名なアートディレクターであり、『カラーズ』初代編集長のTです。
日本で彼とTとユニークな続羅星たち岨歳のMの取材を鈴鹿でアレンジしたときは、また違った観がありました。
Bのドライバーになった彼を初めて見たときの第一印象は、「神経質そうな線の細いドライバー」というものでした。
しかしながら、その後彼の取材をアレンジし、その様子を見守っていると、1年ごとに、どんどん冷静にダフになっていくのがよく分かりました。
死と隣り合わせの戦場で生きる過酷な日々は、こんなにも人間を素敵に鍛えていくのか、と思いました。
私の人生にはこうしたユニークな人たちが締羅星のごとく現れ、去っていきます。
残念ながら、ティボールはその後若くして、才能を惜しまれつつ亡くなりました。
彼がクリスマスに送ってくれた不思議なプレゼントがあります。
それはビニールの真っ赤なハイビスカスのブローチでした。
中に香水を仕込んで、それをエァプッシュで噴射できるようになっています。
これを胸につけて、何気ない顔でお目当ての彼の前に立ち、思わずクラクラとくるような幻惑的な香水をシュッシュッと出すなんて、すごくイヶてると思いませんか。
そんなものを私にくれたのは後にも先にも彼しかいません。
のでした。
B、そしてA氏の記者発表を手がけたときの、彼からのリクエストを思い出すと今でも笑いがこみ上げます。
通常なら斜め後ろに控えて座る通訳を、自分のまん前に、自分と向き合って座らせてほしいとリクエストしてきたのです。
「そんなことはできない、お客さんに通訳の背中を見せられないから」と断ったのですが、ついでに、「何で?」と聞いたら、彼は至極まじめに「通訳たるもの、言葉だけではなく、スピーカーの表情や身振り手振りも考慮に入れて通訳して、初めて真実が伝えられる。
そういう仕事をすべきだ」と答えたのです。
このリクエストに応えてあげることはできませんでしたが、私も深く納得した。
もちろん日本国内にもこの仕事をしているからこそ出会えた素晴らしい人がたくさんいま作家のKさんとはアルマーニやフェレのブランドのPRを担当していたときに知遇を得ました。
今でも芥川賞や直木賞の受賞パーティーでお会いすると、相変わらず気さくに声をかけてくださいます。
一時期、衣装協力していたI氏が、ていねいに挨拶に来てくださったときには、その人柄に頭が下がりました。
また最近、「こんなに頑張っている人がいるんだ」と私に元気をくれるのは、アートディレクターのAさんです。
仲間に加えてもらい、Aさんが実行委員長を務めている「血塁茶羅再生プロジェクト」のゆかりで、高野山にも行きました。
そこで、開闘(かいびやく)以来初めての、歴史的にも意義深い高野山と永平寺の合同法会に参加させていただき、金剛峯寺に参詣し、宿坊に泊まりました。
Aさんは、2002年のアートディレクターズグランプリを、あの一連のトンパ文字で獲得するなど、広告の世界では押しも押されぬ大家なのに、いつでも前向きで瓢々としています。
彼との出会いの橋渡し役はトスカーニでした。
公私にわたって敬愛しているのは久米麗子さんです。
彼女と出会って、もう加年近くになります。
当初は、ご主人のK氏ともども雲上人でしたが、仕事の現場で会う回数が増えるにつれ、個人的な会話も交わすようになりました。
ちょうどその頃、病気がちな一人息子をシングルマザーとして育てている最中で、自分の手元で育てるか、両親に甘えて預かってもらうかを悩んでいました。
彼女に相談したところ、彼女はひと言「息子さんの目線で考えてごらん」と言ってくれました。
そのひと言で、どうしても手放したくないという私のエゴで保育園と実家を転々とさせていた息子を、やっと両親に託す決心がついたのです。
息子からすれば親の都合で環境が度々変わるより、一箇所で安定して育てられたほうが幸せだ、と気づいたのです。
その結果、静かだった両親の家は、幼児が加わり笑い声の絶えない温かな家庭となり、私も盆暮れくらいにしか帰省しなかったそれまでと比べると、毎週末息子に会いに帰るようになり、そのたびに親との理解が深まり、家族が再生されていくのを実感したのでした。
こんな的確なアドバイスをくれたRさんとは、その後親交を重ね、今ではお互いかけがえのない親友だと思っています。
Rさんを通じてKさんの温かな人柄に触れられたことも財産です。
そのほかにも、書き尽くせないほどいろいろな人と仕事を通じて知り合いました。
深くかかわった人はもちろん、瞬時にすれ違った人々からでも、私は多くのことを学びました。
もちろん反面教師もたくさんいますが。
私は仕事上での付き合いは、基本的に「水の如く」を心がけています。
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